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中山法華経寺 撮影会

千葉県の中山法華経寺で、”千尋”さんと”布目由子”さんを撮影(Studio Swallowtail)してきました。

約1年ぶりに中山法華経寺に撮影会で訪れました。昨年の浴衣撮影会で千尋さんを始めて撮影した場所です。本堂の周りを撮影ポイントしますが、ヤッパリ本堂に上がって撮影したい。渡り廊下なんて雰囲気が良くて浴衣に素足なんて似合いそう。

お寺の側としては公園ではないのだからかなり迷惑な事。そこを境内を利用して撮影させて貰っているのだからちゃんとマナーは守らなければ。次から使用できなくなってはどうしようもない。勿論公園や街中も同じ事。

Img_1859 千尋さんは、昨年は濃い青色の浴衣で、自分的には色が濃すぎてダメだった。

今年の白をベースに藍色の模様の浴衣の方がシンプルで似合っている。

浴衣は薄い色、淡い色が一番綺麗に映ると思うし涼しげに見える。帯や髪飾り、下駄の鼻緒の色合いを楽しむ事も出来る。浴衣の色や風鈴の音色によって涼を感じるところがいかにも日本的。

色合いの点では、布目由子さんも良かった。

Img_1904 薄いピンクの浴衣に薄い緑の模様。帯や下駄の鼻緒も緑に合わせ、ネイルの色がエメラルド・グリーンに、ピアスが薄いピンクに合わせてあった。

ネイルやピアスの色が合っていたのは細かい所だけど感激。昔と違い現代ではピアスやネイルといった色が豊かになりすぎて浴衣の色とアンマッチになる事がある。一つの絵の中に色が飽和状態になってしまうと、浴衣のシンプルさが台無しになる感じがする。

ウルトラ・ダラー

著者「手嶋龍一」のみがフィクションと言っているだけのノン・フィクション小説。

北朝鮮による国家的犯罪の日本人拉致事件の隠された目的は、偽100ドル札「ウルトラ・ダラー」製造のため・・・

著者の記者時代に入手した”インテリジェンス”を不断に盛り込んだ作品で、緊張感溢れる場面が数々描かれている。

突如来日したパン・シオンこと金正日(キム・ジョンイル)氏の長男金正男(キム・ジョンナム)氏。彼の拘束から、外務、法務、警察の担当者会議の経緯。そして釈放、中国・北京への送迎までの一連の話は非常に興味深い。金正男程の人物が動くにはそれなりの理由があり、報道されいる「家族でディズニーランドに行くのが目的」では到底無いであろう事も示唆している。

また、最近(2006/06/16)では、北朝鮮の金正日総書記の有力な後継者として急浮上している次男金正哲(キム・ジョンチョル)氏がドイツでエリック・クラプトンのコンサートを見に来たのもそれなりの”目的”があったのではないかと憶測する。

日本国内で偽500円硬貨大量に発見される事件などは、朝鮮半島に近い沿岸地域で発生する事が多いと感じるのも意外では無いのかも知れない。偽硬貨を大量に製造するにはそれなりの機械や技術が無ければ出来ないことを考えれば、素人に容易に出来る事では無い。

アメリカが北朝鮮の資金洗浄(マネーロンダリング)に絡んで、マカオの銀行バンコ・デルタ・アジアに金融制裁を発動したり、米誌ニューズウィークが、アメリカが国家ぐるみで米ドル札を偽造している疑いが濃厚としている北朝鮮への金融制裁を特集した記事で、米国の取り締まりの「真の標的は平壌(北朝鮮)ではなく北京(中国)」とする専門家の見解を伝えたりと小説の中の世界が次々と現実になっている感がする(「ウルトラ・ダラー」でも中国の影を示唆している)

北朝鮮が「テポドン2号」の発射をチラつかせながら、アメリカに二国間協議を迫った(2006/06/21)ところを見ると、マカオの銀行を抑えられたのが相当に苦しいのではないかと感じる。なにせ現金が手に入らなければ、ミサイル発射の燃料すら購入出来ない。北朝鮮のウォンでは国際社会は何も売ってはくれないだろう。今回のミサイル発射騒動が形だけに終わったら、相当に北朝鮮のエネルギー事情が切迫しているとも考えられるのではないか。

北朝鮮の貿易の軸が中国、韓国に移ってしまった今、日本が経済制裁に踏み切ってもさほどの影響も無いのではと感じる。日本からの物資がストップしてもその分、中国、韓国が補ってくれるだろう。国境が接している中国・韓国にしてみれば数千、数万単位の難民が国境を超えるほど恐ろしい事は無いと思う。そのため、北朝鮮国民が飢え死にしない程度に援助をするはずだ。

13歳の夏に僕は生まれた

イタリアの比較的裕福な家庭に生まれ育った少年・サンドロ。初めてのクルージング中に夜の海に転落し置き去りになる。そのサンドロを助けたのは不法移民の密航船。イタリアに無事帰り着いたサンドロはもう無邪気な少年ではなかった。

不法移民の問題を捉えた意欲作。中々我々が知る事が出来ない現実を描いている。

今の世界は富める国と貧しい国の格差は開くばかり。不法に密航した先での生活は必ずしもバラ色ではないと解っていても命がけで海を渡る。4000ドルを密航業者に支払い今にも沈みそうなボロ船に希望を託す。途中で息絶えた者は容赦なく海へ捨てられ魚の餌となる。

それでも彼らは海を渡る。

クロアチア、モンテネグロ、クルド、アルバニア、インド、スリランカ、モロッコ、スーダンなど彼らの国籍はさまざまだ。彼らの祖国はさまざまな問題を抱えている。戦争、貧困、経済不況、人種問題、宗教問題。

祖国に強制送還されても再び海を渡る。そこまでしなければいけないほど祖国は荒れ果てているのだろう。そこから抜け出す手段の一つが密入国。

しかし、入国出来ても幸せな生活を送れる人は極少数で、その大半は犯罪や売春で生計を立てなければならない。お金や特殊な能力(スポーツ選手など)を有する者は受け入れるが、貧しい者には門戸を開かないのが、今のアメリカやEUの移民政策になりつつある。富める国に渡れても、そこにも格差が存在する。

人は生まれた場所(祖国)を恨まなければいけないのでしょうか?

たまたま日本に生まれたから命がけで海を渡る事も無い。でもその日本は国連が認定した難民すら受け入れる事を拒否し強制送還させた。

密航船で出会った主人公の少年・サンドロと不法移民の少女・アリーナ。何が違うとゆうのだろう。

自分とラドゥは何が違うのか?

13歳の夏に僕は生まれた(http://www.eigaseikatu.com/title/15481/

水野莉佳 at 月島

月島で、”水野莉佳”さんの撮影会(Studio Swallowtail)でした。

久しぶりの撮影会。4月の最終週に参加して以来でした。結局5月の撮影会参加はナシ。昨日関東地方も”梅雨入り”宣言があったので、今日中止にでもなったら6月の撮影会参加も危ぶまれたところ・・・。

”水野莉佳”さんは、全東京写真連盟(http://www.atpf.jp/index.html)のモデルさんとの事で、撮影にも慣れている感じでポーズもキマッていて撮影ペースも自然とアップします。

Img_1639 Studio Swallowtailのホームページ(http://scarecrow.tv/swallowtail/index.shtml)でみた印象は、少し子供ぽい雰囲気かなって感じていたのだが、当日本人に御会いして上手く裏切られました。凄く大人の女性とゆう印象でした。歩く後ろ姿もキマッていた感じ。

街なかでの撮影には良く似合う雰囲気の女性で、ショーウィンドの前とかで撮影してみたい(かなり難しい撮影シーンですけどね)

月島界隈の撮影会は過去に何度か参加した事があるが、主催者(風神)さんが新しくロケーションしてきたのでしょうか、今回は少し雰囲気が違う街並みでした。

”へ~こんな所もあるんだ”って新鮮な感じで楽しめました。と同時に、旧き良き東京の街並みが少しずつ失われているのかなとも・・・

地球の上に生きる2006

DAYS JAPANフォトジャーナリズム写真展「地球の上に生きる2006」を、新宿コニカミノルタプラザで拝見してきました。

DAYS JAPAN誌に掲載された沢山の写真から、DAYS国際フォトジャーナリズム大賞を受賞した作品が見られる数少ない機会です。また、今回は池田香代子氏(翻訳家)によるトークショー(広河隆一氏との対談)も開催され参加する事も出来ました。

会場に展示されている写真は、DAYS JAPAN誌で既に目にしている作品ばかりではあるが、大きく引き伸ばされたそれらの作品には改めて圧倒される”力”を感じる。特に大賞を受賞した作品、「インド 男子誕生の圧力の影で」ルハニ・コール(Ruhani KAUR)の作品は他を圧倒するものがある。

ルハニ・コール(フォトジャーナリスト)は、インド・パンジャブ州に生まれた女性である。祖国の現状を取り上げ国際社会に訴える事はかなり勇気のいった事ではないかと思います。彼女を突き動かした”何か”を感じたい思いで作品に見入ってしまいました。

彼女は女性でありながらフォトグラファーとして活躍(イギリスのウェールズ大学で経済学の学士号と修士号を取得している)出来ている事を考えると、裕福な家系に生まれる事が出来たのではないかと思う。しかしながら祖国・インドには、女性として生まれたがために差別され虐げられた生活を送る事を余儀なくされた人たちが沢山いる事を国際社会に訴えるべくシャターを押したのであろう。

トークショーでは池田香代子氏が著書「世界がもし100人の村だったら」の話をしてくれた。その話を聞いていると自分が恵まれた側の人間であった事を改めて認識させてくれた。小学/中学/高校も卒業したし、読み書きも出来る。仕事もあるし住む家ある。病気になれば医者にも行ける。

しかし世界の大半の人たちは自分と同じ側にはいない。私たちの社会はそうゆう現実を知らずに生きる事も出来るようになっている。メディアはすべての事を伝えているのでは無い。伝えていないものを見る力(想像力)を養わなければ、悲惨なドキュメンタリーを見て一過性の涙を流す事しかできない。涙は明日になれば乾いてしまっているだろう。

DAYS JAPAN誌を創刊号から毎月見ているが、ページを捲るのに非常に精神力を必要とする。どのページを見ても悲しみしか掲載されていない。それでも見続ける必要があるのだろう。いつの日か涙を流さなくてよい世界が訪れる事を願いながら。

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