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ラスト・ステージ

Img_0889 横浜市「あじさいの里(白鳳庵)」

あじさいの季節もそろそおしまいです。

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Img_0907 また来年。

フォト・リテラシー(報道写真を読む倫理)

41wtpgelcdl_sl500_aa240_ 今橋映子著

以前「DAYS JAPAN」誌の編集人/広河隆一氏の講演で、この「フォト・リテラシー」の話題になったのを思い出した。

「写真を読み解く能力」とでも訳すのか、一枚の写真からその背景を読み解く事を言っている。

写真の世界(特に報道写真の分野)では「決定的瞬間」が”魔法の言葉”のように使われる。

人の人生を左右する一枚の写真。

世界を動かす一枚の写真。そんな写真であるが、その真偽については色々と言われている。本書を読むと、現代に知られた「決定的瞬間」の写真にも可也の部分で演出が成されていた事にきずく。しかし初期の報道写真には演出を含めた上での作品が多々ある事にもきずかされる。

カメラの歴史において、現代ほど写真が身近に感じる時代は無いだろう。なにせ私もデジタル一眼レフを所有し、気軽に写真撮影を楽しんでいる。

それこそ携帯電話を持っている人は、基本的にはカメラを毎日持ち歩いてる事と同じだ。「決定的瞬間」は何もプロのフォトグラファーだけが所有する魔法では無くなった。

イラク戦争での最も象徴的な写真にも数えられる「アブグレイブ刑務所での捕虜虐待」写真は、一兵士が撮影したものだし、秋葉原での惨劇も多くが一般の人達の撮影写真である。今後の世界では、街角に設置された無人の監視カメラが「決定的瞬間」を収める事になるかもしれない。

撮影者に意思や思い入れが少ない写真が新聞の一面を飾るようになると、なお更「フォト・リテラシー」の必要性が出てくるだろう。写真の背景を観察し読み取れないと、情報発信者(マスコミ)に我々の意識がコントロールされてしまう危険性が出てくる事も考えられる。

フォトジェニックな時間(とき)

Img_0823 横浜市「あじさいの里(白鳳庵)」

鎌倉辺りの有名寺院に比べると見物人も少なく、紫陽花をゆっくり撮影するには穴場です。

個人宅の庭を開放しています。

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朝方までの雨が上がった時間で撮影。

雨上がりは一番フォトジェニックな時間です。

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ジブ・コーレン報道写真展~1000の言葉よりも

006 映画「1000の言葉よりも」の公開に合わせて、ジブ・コーレン報道写真展が開催された。

写真展の会場となったBankART 1929 Yokohamaのホールは、配管が剥き出しになった天井の下、複数の白い板で空間を仕切ってある。

その仕切り壁に作品が掛けられており、通常の写真展でよく見られる閲覧順序を示す矢印が無い。

「御自由にどうぞ」という意味なのか、または、作品の題材となっているイスラエルとパレスチナの混沌とした状態を表しているか...

ニューズ・ウィーク誌等の有名なメディアに数多くの作品を提供しているだけに、見た覚えがある写真もある。

常に最前線の不穏な匂いを嗅ぎつけながら、冷静に画面に納めているといった作品が50点壁を飾っている。

非常にユニークな撮影ポイント(視点)を持った写真が多く、他者とは一線を画する作品たちだなと感じる。

また、国旗や炎など印象的な被写体も随所に散見できる。

ライフルの照準スコープを覗いているイスラエル兵士や、入植地から強制排除される家族の子どもが、排除する側のイスラエル兵士にビスケットを手渡していたりと、少し演出を感じる作品もあるが、それも同じイスラエル人であるジブ・コーレンだからこそ出来るコミュニケーションの末の作品なのかもしれない。

防御壁の壁の一部を倒し、ベット代わりにして寝ているイスラエル兵の姿を写した写真は、何か墓標を思わせる作品になっていたりと、画面の構成力は一流のカメラマンであることを感じる。

世界報道写真展2008

もう1年が過ぎた。

歳を重ねるごとに時間の経過を早く感じるとか言われるが、それだけでは説明が出来ない。この1年も色々な事件が世界を駆け巡っていた。時間が休む暇を与えない程に世界は廻っている。

世界は常に流動しているのに、まるで時間(とき)が止まったような国々がある。

ジンバブエ。

コロンビア。

イスラエル。

ナイロビ。

コンゴ。

アフガニスタン。

イラク。

世界報道写真展で毎年のように掲載されている撮影地だ。

国を形成する過程で失敗をした国々は、抜け出せないスパイラルに陥ったように流転している。

ゲーリー・ナイト審査委員長の言葉に「最近の応募作品の中には、安易に金になり易い作品が多い」とあった。

誰かの撮った写真を真似たり、撮影地を選んだりして本来フォトジャナーリストの地道な取材活動の末の作品が少ないという事だろう。

そう考えると、上述の撮影地が多くなるのも頷ける。「戦場自体が非日常なので決定的瞬間が多い。」等とも言われる。勿論イラクやアフガニスタンの状況を伝えるのも重要な事ではあるが、それに隠れてしまった国や地域がまだまだ沢山ある事も忘れないようにしなければならない。

一般にアメリカ発の報道しか触れる機会が少ないと、”善悪”の判断が偏る。会場内に居ると正に、「どちらに正義があるのか」解らない。

先日より今橋映子著「フォト・リテラシー」を読み始めており、例年と少し違った角度から写真展を観る事が出来た気がする。

一枚の単写真での「決定的瞬間」だけではなく、組写真での作品にも今回は注目して観る事が出来た。DAYS JAPAN 5月号に掲載された、アドリース・ラティーフ氏の撮った組み写真(DAYS国際フォトジャーナリズム大賞において特別賞を受賞)では、撃たれた直後の長井氏の姿を克明に映し出している。

倒れた長井氏の脇を走り抜けようとする兵士を、必死にビデオカメラを向けて撮影している。自分を撃った兵士を収めようとしているかのようだ。

会場内では長井氏が撮影した映像も上映されていた。

イラクで火傷を負った少年が治療される姿は正視するのが耐え難い。

遊希ひなた 撮影会(at 日向和田)

主催:Studio Swallowtail  撮影モデル:遊希ひなた 撮影場所:日向和田(東京)

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新緑眩しい多摩川沿いの日向和田。

川に入るには少し時季が早いので、撮影のポイントが限定されてしまうのが難点。

どうのように撮影しようか終始考えてタイムオーバーって感じの一日になりました。

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地球の上に生きる2008

会場となったコニカミノルタプラザに居ると、世界で起こっているあらゆる問題の中に自身を委ねているようだ。

それは報道写真の枠を越えている。

エネルギー問題を端を発した紛争や混乱、食料問題からくる貧困、女性への暴力、DV(ドメスティック・バイオレンス)、独裁政権による国内紛争、中東の混乱。

映像と違って、写真は音(声)を発しない。

もしも、写真から声が聞こえたら、会場内は悲鳴、怒号、呻き声、泣き声で溢れていただろう。とても耐えられない状況になっていたに違いない。

しかし、壁一面に張り巡らされた写真達は「声無き声」を発している。

その声を聴き取る努力を怠ってはならない。どんなに小さな声でも耳を澄まして聞き漏らしてはいけない。

その声を届けてくれるフォトグラファー達にも感謝しなければならない。彼らは我々の耳となり、目となり世界で起こっている事柄を見届けてくれる。

ビルマ(ミャンマー)で犠牲となった日本人フォトグラファーに哀悼の意を表したい。

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