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世界報道写真展2012

今年の『世界報道写真展2012』には、東日本大震災の写真が数多く出展される事が予想された。

東日本大震災関連の写真はこの一年の間に数多く見てきたが、その殆どが日本人プレスに関する写真が多かった。外国の報道機関やフォトジャーナリストがこの震災をどのように捉えようとしていたのか興味深い。

ドニ・ルーヴル氏(フランス)の「津波を生き残ったコンノトクさん」が興味深い作品だった。何の説明も無ければ単なるポートレート写真に過ぎないが、震災の状況を捉えた他の作品とは一線を違えた視点を感じる。

自然災害から生還した人には、安堵の裏側に「なぜ自分だけが生き残ったのか」と思う事があると言われる。このポートレートにも何か複雑な思いが写しこまれている様に思えてならない。

また、手塚耕一郎氏(日本)の「宮城県名取市を水没させながら、仙台空港へと向かう津波」などは、日本の地形をも変える津波の威力を捉えており、今見ても恐怖を感じる。

福島第一原子力発電所事故に関する作品が意外と少なかった。報道規制等が有るせいなのかも知れない。これまで原発事故の代名詞と言えばチェルノブイリ事故であったが、これからは福島第一原子力発電所になり、その動向を世界が注視することになるだろう。日本人のフォトジャーナリストがどのような形で発信して行くのか注目したい。

『世界報道写真展2012』には、他にも多くの作品が展示されている。

カーステン・ペーター氏(ドイツ)の「世界最大とされるベトナムのフォンニャ=ケバン国立公園内のソンドン洞窟」には、大自然を前にした人間の小ささを体現できるようなスケールの大きな作品だ。

アレハンドロ・キルチュク氏(アルゼンチン)の「65年間連れ添ったアルツハイマーの妻モニカの世話をするマルコム」の組写真には、”愛”なんて言葉では軽すぎるような日常が写しだされているが、それとは対照的に、ステファニー・シンクレア氏(アメリカ)の「国、地域、社会階級を問わず各地で存続する児童結婚の伝統」では、何とも言いがたい思いが過ぎる。

ニクラウス・ハマーストレム氏(スウェーデン)「無差別大量殺人の舞台となったノルウェー郊外のウトヤ島」や、エブラヒム・ノルージ氏(イラン)「中国に次いで死刑執行が多いとされるイランでの公開処刑」などに見られる作品では、テロや公開処刑、麻薬カルテルの抗争、狂信的な虐殺と、人の死を政治的な力の保持として利用する現場を目の当たりにする。

レミ・オシュリク氏(フランス)の「リビアの体制への抗議運動とカダフィ大佐の遺体」に、一つの時代の終焉を見た。

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