トランスフォーマー/リベンジ

Tf2_dtop9_1280x1024 前作を観た時に受けた衝撃からすると、新たな興奮が薄かったかなと思える。一番の見せ場はトランスフォームする瞬間だと思うが、何か機械がガチャガチャ動いているだけの様に見え、前作の流れるような映像を感じなかったは残念。

ストーリー的には、前作の続き(数年後)の設定の為、細かい背景説明をする事無く激しい戦闘シーンに突入する。

戦闘シーンはなかなかの迫力があるが、オートボットやディセプティコンがビルや橋脚に登っている映像は何かリアリティを感じ得ない。如何にもオモチャですって感じ。

Tf2_dtop12_1280x1024

個人的には、もっと人類とオートボットの関係を絡めた謎解きストーリーが良かったが、まだまだ続編が作成されそうなので今後に期待したい。

新型のディセプティコンが何種類か登場していたが強力な個性が感じられない。

登場人物に関しても少しオチャラケたキャラクターが多すぎる気がする。

1人くらいが適当で、あちら此方に散りばめられると、映画そのものの品位が下がってくる。

Tf2_dtop10_1280x1024 単なる”未知との遭遇”からエイリアンと共存/共栄する時代になってきた。

映画生活:http://www.eigaseikatu.com/title/24780/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ダークナイト

監督/脚本/製作/原案:クリストファー・ノーラン

Wallpaper_burning_800

バットマン・シリーズの熱狂的なファンでは無いので、今まで同シリーズを見る事も無かった。どちらかと言うとアメコミ映画ブームを冷ややかに静観していた。

今回も年末年始に時間が開いたから観たぐらいだったが、人間味溢れたキャラクターやストリー性に引き込まれてしまった。

苦悩するヒーロー/バットマン。超異次元(異性人)的な存在では無く、生身の人間が”被り物”で変身しているだけなので、人間的な感情が全面に出ていて面白い。ブルース・ウェインの身体に残る無数の傷跡(痣)がより人間的な姿を浮び上がらせている感じがする。

Js_800x600ジョーカーもまた、非常に人間味溢れたキャラクターだった。

理由も無く、理屈も無く、凶悪犯罪を繰り返すジョーカー。2008年に多発した無差別殺人(通り魔)事件の犯人を思わせる。彼らは一様に「誰でもよかった」と犯行動機を語る。ジョーカーにしても犯罪の対象は誰でもよいのだろう。暇つぶしに犯罪を繰り返しているだけなのだから。現代人の心の奥底から誕生したキャラクターの様に思えるが、実際は何十年も前から存在していたキャラクターである。

Tdk06_800x600 演じたヒース・レジャーの訃報もあるせいか、その狂喜さが一段と引き立つ。果たしてダークナイト撮影中にどれだけ思い詰めていたのかは想像にし難いが、屈折した心情がジョーカーに乗り移り、ジョーカーの耳まで裂けた口に恐怖を宿す。

Wallpaper_joker_800 正直、正義の使者”バットマン”より、悪の象徴”ジョーカー”により強い魅力を感じた。

人間(自分)の中に存在する邪悪な深層心理を感じる様で気分が悪い。

映画の最後に正義を貫いたバットマンが、ゴッサム・シティーから追われる身になる。

哀しいかな、人間には自分を正当化する邪悪な存在が必要なのかもしれない。

その象徴が、ダークナイト:バットマンなのか?

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/20466/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

未来を写した子どもたち

監督:製作:撮影/Zana Briski(ザナ・ブリスキ)

経済発展が著しいBRICs(ブリックス)にも名を連ねるインド。インドの主要都市でもあるカルカッタには違法な赤線地帯(売春窟)が未だに存在している。映画の冒頭、その赤線地帯を撮影した映像は、かなり粒子が粗く、感度を上げて撮影した感じがした。赤線地帯には電燈も疎らで日中でも外光が届かないような場所なのかもしれない。

そこでは、違法な売春が日夜行なわれているのと同時に、”普通の生活”も営まれている。人生の最期を迎える時もあれば、生命の誕生もある。しかし哀しい事に、そこで生まれた女の子は、何時しか”お客”を取る運命にある。

閉ざされた世界の閉ざされた運命。

ザナ・ブリスキが、赤線地帯を取材対象に選んだのは女性として使命なのだろうか?よくは解らないが、そこで彼女は子どもたちの存在に気がついた。普段は親族からも邪険に扱われ、その存在自体が不確定な子どもたち。

DAYS JAPAN誌の「第二回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞」を受賞した、インド人女性フォトグラファー/ルハニ・コール(Ruhani KAUR)の作品で、インドでは「男子誕生の圧力」があることを知った。女児より男児が優遇され、最悪の場合、生まれたばかりの女児は、死産として殺される事もあるとか。元々子ども(特に女児)に対する人権意識が希薄な国なのかもしれない。

そんな状況下の子どもたちに、彼女は”カメラ”を与えて写真を学ばせた。

子どもたちに何を撮らせようとしたのだろう。「夢」、「過酷な現実」それとも、自分が入り込む事が出来ない赤線地帯の「決定的な瞬間」か。

目的は何であれ、彼女は子どもたちの学ぶ意欲に気が付いたのかもしれない。まともな教育を受けるチャンスが無い子どもたちは、現状を抜け出す術を持たない。読み書きが出来なければ、まともな仕事に就ける機会にも恵まれず、何時までも貧困生活を送らなければならない。未だにカースト制度が根強い地方では、最下層に生まれた子どもは最下層で人生を終わらせる。そこから脱出するのは、並大抵の事ではないかのかも知れないが、教育の機会を平等に与えるのは当然な事に思える。

子どもたちが連れ立って、海や動物園へ遠足に行くシーンは素晴らしかった。あらゆる物に興味を示しシャッターを切る子どもたちの笑顔が素敵だ。日本や諸外国の子どもと何一つ変わらない笑顔。

しかし、夜になり家に帰る姿を想像すると切なくなる。

全ての子どもたちを救わなければ、何の意味も無い。でも、1人も救えないよりは、いいだろう。しかし資金面の問題や不理解な親族の問題もあり、彼女の思い通りには進まない事も多々あるようで、そんな状況に彼女自身も苦悩している感じがした。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/24268/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

インディ・ジョーンズ~クリスタル・スカルの王国

監督/スティーブン・スピルバーグ

キャスト/インディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)、マリオン(カレン・アレン)、マット(シャイア・ラブーフ)

Img2_1213344675 インディ・ジョーンズを映画館で観るのは初めてだ。上映前に流れるあのフレーズ、聴いていると「これからどんな冒険が始まるのか」と、胸躍る。

冒頭にインディが登場するシーンでのおなじみの影が、前作『最後の聖戦』から20年の時の流れを一気に縮めて、我々を冒険の世界に導く。

今までの作品をオマージュするかのようなシーンが随所に散りばめれている。父親/ヘンリー・ジョーンズやインディの上司/マーカス・ブロディの死が20年の時を感じさ、インディのその表情にも時が積み重なったのを見て取れる。

しかし、映画の中では歳を感じさせないインディ=ハリソン・フォードの姿が勇ましい。流石にアクション・シーンでの吹き替えはあると思うが、インディ=ハリソン・フォードが走り回る姿を見れるだけで楽しい。

あまり予備知識が無いまま映画を観たが(実は劇場で観るつもりは無かったので詳しく下調べする事もしなかった)、嬉しいのはマリオン(カレン・アレン)の登場。『失われたアーク(聖櫃)』以来27年ぶりの登場。顔をみた瞬間に「あ~、あのマリオンだ」と嬉しくなった。随分と丸くなった感じは否めないが、あのマリオンである。

流石にマリオンのアクションシーンは少なかったが、インディと間の息子/マットの母親役で登場し、27年(前作からは20年)の時を埋めるインディとの隠れたエピソードを披露する重要なファクターであった。

今回初登場のインディの息子役/マットも今後の展開に重要な役割を持つようだ(今後シリーズが続く場合)。最後にインディとマリオンが挙式を上げる教会で、祝福のゴッド・ブレスが噴いて飛ばされたトレードマークの帽子をマットが拾おうとした瞬間にインディが掠め拾った。「次回作もインディ・ジョーンズの主役は渡さないゾ」と言わんばかりのシーンに思えた。

映画のストーリにも少しだけ触れたい。

全体的に謎解きが少なく感じた。意外と簡単に答えが導き出されてしまい不満を感じた。また、ラスト・シーンはCGを使い過ぎ。何か非常に陳腐な映画のように感じてしまった。

「えっ、人類の起源はそこに求めるの」って感じだったが、『未知との遭遇』や『E.T.』を思えば、行き着く先はそんな所なのかな.....

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/20733/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おいしいコーヒーの真実

監督/マーク・フランシス

Coffee_main

1杯のコーヒーから世界の経済格差を見れる本作。同じ様な事は、チョコレートの原料となるカカオや、ダイヤモンドや金の露天掘りで働く労働者にも言える事。最近の日本の漁師にも言える事だろう。

僅か数ドルに満たない賃金で働くエチオピアの労働者と、欧米のコーヒーショップで働く人達や、コーヒー抽出技術を競う世界大会(バリスタ世界大会)の模様等を対比させながらの映像が終始続いた。

映画的には「悪いのは世界の4大メーカー」ですよ、と訴えたいのだろうが、映像を見ているとコーヒーショップで働く店員もその片棒を担いでいると言っているようで、何か見る人に勘違いを与えそう。

市場の価格が先に決まってしまい、そこから逆算するように一次生産者の取り分が決まってくるのは、コーヒー以外の食品にも広く言える事のように思える。

この手の問題は、中間業者の排除をすれば済む話ではなく、製品を手にするエンドユーザである我々の覚悟も必要とされる。とにかく安くて良い品物を求めてばかり居ては、何時まで経っても生産者に幸せは訪れない。

商品を適正価格で購入する事が必要となってくる。

各国の保護政策も撤廃しなければ平等な競争にならず、それは市場価格の上昇にも繋がる。

この映画を見て「明日からコーヒーを飲むのは辞めましょう」とは言わないが、毎日コーヒーを飲む時に思い出さなければいけない事ではある。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/21089/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

...MORE THAN 1000 WORDS「1000の言葉よりも -報道写真家 ジブ・コーレン」

監督/ソロ・アビタル

キャスト/ジブ・コーレン(報道写真家)

012_2  上の写真で世界に名を馳せたジブ・コーレンのドキュメント映画。

ジェームズ・ナクトウェイを始め、過去にもフォトグラファーのドキュメント映画は何度か観てきた。

フォトグラファーのドキュメント映画を観るのは、非常に興味深い。彼らが現場で「何を感じ」「何を見ているの」、そんな事を感じる事が出来る機会だから。

彼の”職場”がどれ程過酷な場所であるかが良く解る。普通の人なら神経が麻痺してもおかしくない。戦場のフォトグラファーの精神力は並大抵の物では無いと感じるが、この手のドキュメント映画を見ると大概その考えは間違っている事に気が付かされる。

アルコールやドラッグに溺れてしまう人もいる。ジブ・コーレンは上の写真の現場に撮影後訪れのを避けていたと言う。

沢山の人々の死を目の前にすればトラウマが生まれるのも当然だろう。

004

それでも彼は撮り続ける。

ヒーローに成りたいわけでも無く、裕福な暮らしがしたいわけでも無いようだ。

世界に現状を伝える事に脅迫観念を感じるジブ・コーレン。そこには、死んで行った人々の魂を無駄にはしたくない思いもあるのかも知れない。

002

我々にとっては、イスラエル/パレスチナ紛争は遠い海の向こうの話でしかないのかも知れない。

しかし、こう考えてみたらどうだろう。

自分の家の数ブロック先で日常的に戦争(紛争)が行なわれているとは、どうゆう事なのだろう。

自分の通う仕事先やお気に入りのカフェ、家族が通う学校の近くでテロが起きて沢山の人が死傷する。

考えただけでもゾッとする。

ジブ・コーレンは「人々はただ、知りたくないだけ」と言う。

まさにそうかも知れない。

誰も戦争の事など考えたくも無い。

しかしテロ行為は戦争以上に我々の身にも迫っている。非常に身近になったと考えてもおかしくない。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/22323/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生

監督/バーバラ・リーボヴィッツ

キャスト/アニー・リーボヴィッツ

Annie02 独自の世界感を実現する為に、長い時間を掛けてコンセプトを練る。
そのコンセプトを実現する為には多額の費用を掛けるのも厭わない。編集長泣かせではあるが、多額の費用を掛けただけの
作品を生み出せるアニーの才能に皆惚れている。
芸術と商業的成功、相反する2つの要素を見事に融合しているように思える。

頭で思い描いた絵(構成)を現実に写真で収めるのは簡単な事ではない。しかしアニーの撮影は10分~20分で終わることも
あるらしい。コンセプトが完成した時点で撮影の大半は終了してしまっているようだ。

アニーの指示は比較的単純のように思えた

「彼女を見て」

「少し動いてみる」

大概そんな感じだ。

Annie06アニーのユニークな作品を生み出すのに欠かせないファクターには、被写体となるセレブ(俳優)達の豊かな感性もあるのだろう
単純な指示を10倍にも100倍にも膨らませる事が出来る俳優達。
彼ら俳優は誰に対してもそれだけの事が出来るのだろうか?

そんな事は無いと思う。
そこには、アニーとの信頼関係があるからこそ、意味のある仕事をしてくれる。
他人が自分の内面にまで入り込んでくる事を容易く許すとは思えない。下手をすると相手から拒絶されるだろ。
しかしオノ・ヨーコは「彼女は魂を撮ろうとした」と表現していた。
そこには、非常にコンセプトに拘りながら、ありのままの姿を撮ろうとしている姿勢が伺える。
ポートレート写真は非常に難しいと思う。相手があるだけに自分一人で簡潔させる事が出来ない。
相手の全てを受け入れる度量が無ければ良い作品には成らないと思う。彼女にはそれが出来る。

でなければ、被写体に全てを曝け出させる事は出来ないだろう。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/19507/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

MAGNUM PHOTOS/世界を変える写真家たち

監督:ライナー・ホルツマー

Im_intro マグナム・フォトとは、
「1947年、ロバート・キャパ(ハンガリー人)の発案で、アンリ・カルティエ= ブレッソン(フランス人)、ジョージ・ロジャー(イギリス人)、デビッド・ シーモア("シム")(ポーランド人)らが創設した、会員が出資して運営する、 写真家の集団」

2007年も終わりに近ずいてきましたが、今年は「マグナム・フォト」創立60周年にあたる。

現在のマグナムを率いるメンバーが自らの言葉でマグナムについて語るドキュメンタリー映画。新規会員の選考会など普段観る事の出来ない映像も多数ある興味深い映画。

マグナムのイメージは、キャパのスペイン動乱当時に狙撃された兵士を撮影したと言われている「崩れ落ちる兵士」に代表されるように、時代の動乱をつぶさに記録して来た写真家の集団ように思えるが、60年の歳月を経て随分と変化してきたみたいです。

特にテレビ報道台頭により、報道写真の存在(必要性)が薄れる現代。マグナム・フォトも生き残りを掛けて変化を余儀なくされている。古き良き伝統を守りつつ新しい鼓動にも挑戦している。テレビ報道のスピード感には付いていく事は写真には不可能だ。そこでマグナムの選んだ選択肢の一つに、「同じ被写体を長い時間を掛けて撮影する」事だ。

それを実現するのには、マグナム・フォトの独立性が重要になる。

エージェントからの催促されることなく、ジックリと撮影する。設立当初から、写真家による写真家の為のエージェントであったマグナムは、その経営にプロの経理士や財務担当者がいないそうだ。それでよく60年も運営出来たものだと感心する。

今作のストーリの一つ、マーティン・パーを正式メンバーとして迎え入れるか否かの話は興味深かったです。

劇中ある写真家が「戦場フォトは簡単。戦場自体が非日常であり劇的なシーンが溢れている」と語っている。
日常の光景を劇的に撮影する事が出来るのが、マーティン・パーなのであろう。
彼のスナップは、凄く単純。”撮りたいものを撮る”
彼は色にインスパイアされるようで、その被写体はショーケースのパンや食肉、派手なネクタイと多彩。

また、彼の撮影スタイルを見ていると、カメラ一つで初対面の被写体(人物)との距離を一気に近かづける”技”は見応えがある。中々彼のように上手くは出来ないものだ。

戦争や貧困など特定のテーマを追い続ける写真家の対極に、あらゆる被写体に興味を示す写真家もいる。

どちらにも共通する思いは、「自分に正直」であることだろう。自分の撮りたい被写体をひたすら追い続ける。マグナムには変わらない志が受け継がれているように思える。

アンリ・カルティエ= ブレッソンは、写真を逆さまにして構図の確認をしていた等、面白いエピソードを聴く事もできた。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/19377/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カルラのリスト

監督:マルセル・シュプバッハ

キャスト:カルラ・デル・ポンテ

Blogparts02_3 『戦争犯罪人(戦犯)』とゆう言葉はあまり好きではない。戦勝国が敗戦国に対して戦争犯罪人のレッテルを貼り、国際法廷でその罪を問うが、戦争とは必ずしも戦勝国に正義があるとは限らないからだ。

しかし、ボスニア・ヘルツェコビナ紛争で、大量虐殺の主導的立場にあった、ミロシュビッチ(2006年死亡)やカラジッチ、ムラディッチらの指導者達は国際法廷の場で裁かれるのは当然であろう。

本作『カルラのリスト』は、逃亡中の戦争犯罪人を逮捕/起訴すべく奔走している、旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)の国際検察官/カルラ・デル・ポンテと彼女のスタッフたちの戦いの記録(ドキュメンタリー)である。

国際刑事法廷の名前は耳にする機会はあったが、実際にどのような活動をしているのかは、一般のメディアでは窺い知る事は難しい。本作品を観る事で多少なりとも垣間見る事が出来た。また、国際社会の裏側も見れた。

Blogparts01 カルラ・デル・ポンテは常に数十人のSPに守られながら行動をする。彼女が追っている戦争犯罪人は、他方から見れば、自国の”元大統領”であり”英雄”である人物なので、そのシンパから命を狙われる可能性も十分にあるのだろう。

そんな危険は状態にありながら、彼女を突き動かす物とは何なのだろう。”スレブレニツァの虐殺”では多くの女性が犠牲になった『民族浄化』なる事件が起こっている。同じ女性として犠牲者の悲痛な叫びを聴き、それがカルラの魂を揺さぶるのではないかと思う。

『犠牲者の母の会』の女性が冒頭、「検察官がカルラで良かった」と言っている裏には、「もし、男性の検察官であったならば、適当な所で政治決着に持ち込まれるのではないか」との不信感の表れではないでしょうか。

その思いを感じるからこそ、カルラは現状を苦々しく思っているのでしょう。

ICTYは国際機関であるが、戦争犯罪人の逮捕/起訴する権利が無く、各国政府の協力に支えられている。戦争犯罪人がセルビア国内に潜伏/匿われているのを知りながら、現セルビア政府は逮捕するのは及び腰。”英雄”を逮捕/起訴する事によって国内情勢が不安定になるのを恐れているのであろう。

カルラへのインタビューを聴いていると、端々には苛立ちや無力感が感じられるのはその為であろう。

Blogparts03

クロアチアに潜伏している戦争犯罪人を逮捕する場面では、国際社会の裏事情が垣間見えた。

ICTYに対して表向きは協力的な態度を取るクロアチアではあるが、裏では非協力。しかしEUに加盟したいクロアチアにとっては、ICTYの評価は大切な判断基準になる。

カルラは逮捕に協力しなければEUに対して批判的な評価をすると、クロアチア政府に脅しを掛ける。裏取引があったとも言われるが、結果として一人の戦争犯罪人をオランダ/ハーグの国際法廷に送り込む事に成功した。

しかし、カルラには時間が無い。カルラの任期は2007年9月14日(12月末まで延期された)。未だに6人の戦争犯罪人が逃亡中であるが、アフガン、イラク戦争に忙しいアメリカやNATOは、この歴史の記憶から忘れ去られようとしている紛争には興味が無いようだ。

世界中で紛争/戦争は絶え間なく続く。メディアの報道は常に現在進行形の戦争を伝える。10数年前の戦争など、新鮮はニュース・ソースでは無いので報道される機会も徐々に減ってしまい、我々の記憶からも消えてしまうだろう。

しかし、過去の戦争の記憶に苦しんでいる人たちも沢山居る。その人たちを救わなければ、”憎しみの連鎖”は何時までも続き、戦争も終わることは無いのだろう。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/19392/)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

パンズ・ラビリンス

監督:ギレルモ・デル・トロ

キャスト:セルジ・ロペス(ビダル大尉)/イバナ・パケロ(オフェリア)/アリアドナ・ヒル(カルメン)/マリベル・ベルドゥ(メルセデス)

Wallpaper05_1024_2 内戦の終結後もパルチザンによる散発的な争いの続くスペイン/1944年。少女(オフェリア)は母(カルメン)と共に、新しい義父(ビダル大尉)の待つ、山中へ向かう。

過酷な現実に希望を失ったオフェリアは、フェアリーテイル(妖精)に導かれて、ラビリンス(迷宮)の扉を開く。オフェリアは遠い昔に亡くなった、魔法の王国のプリンセス・モアナの生まれ変わり。

再び王国に戻るには、現実世界で”3つの試練”に耐えなければならない。

Wallpaper04_1024 「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリーポッター」がファンタジー映画のメジャーならば、今作「パンズ・ラビリンス」は、日本に於いてはマイナー作品かもしれない。PG-12指定でもあり、あまり話題には上がって来なかった感じもする。

しかしながら、現実の世界(1944年/スペイン)の動乱とファンタジーの世界が密接に絡み合うストーリー展開は、観客を魅了しスクリーンから目が離せない。全く別世界を描く「ロード・・・」や「ハリー・・・」に比べるとリアルな感じを受ける。

スティーブン・キングやピーター・ストラウブの小説に寄って、ダーク・ファンタジーの扉を開いた私からすると、「ロード・・・」は甘過ぎるし、「ハリー・・・」はお子様向け映画に過ぎなかった。

「パンズ・ラビリンス」は、ファンタジーの形態を採っているが、本当に異世界を描いたのだろうか?

過酷で残虐な現実世界で精神のバランスを崩したオフェリアが救いを求めたのが、大好きな”おとぎ話”の世界。魔法の王国もプリンセスの生まれ変わりもオフェリアが抱いた妄想に過ぎないのでは無いかと感じたりもする。

Wallpaper01_1024_2人の心の裏側には、残虐な世界やラビリンスが広がっている。そんな心情を上手く映像化しているようにも思える。

オフェリアを導くパン(神父)。その姿はヤギの頭を持つ異形であり、観客が感じていた事をオフェリアが発する「あなたを信じていいの?」

外見で人を判断してしまう、人間のダーク(残虐)部分を具現化したシーンに思える。

映画の手法的には、エンディングを予感させるシーンを冒頭に挿入したり、壁や柱、大木をカメラが横切ると次のシーンへ展開するなど、然程目新しい感じは無かったがスクリーンから目が離せない映像美がある。

Wallpaper03_1024 映像を見ている事で、色々とインスパイアされる作品などは沢山無いが「パンズ・ラビリンス」を見終えると自分の中に「新しい引き出し」が増えた感じがする。

普段写真撮影を趣味としているが、この引き出しが何かの役に立ってくれる日がくるような気がしてならない。

感情や心を非常に豊かにさせてくれる上質の作品に出会えた感じが今も残る。

悲しいくも残酷な感じもするラストシーン。でも逆にホッとする感じも残る不思議な終わり方。この世の中で一番大切な物とは何かを問い掛けている作品だと思う。

エンドロールを見ながら、鳥肌が立つ感覚を始めて味わった。

映画生活(http://www.eigaseikatu.com/title/17661/)

| | コメント (1) | トラックバック (1)