世界報道写真展2016 『沈黙が語る瞬間』

世界報道写真展を最初に見たのが2005年。
何時の頃からか変わらぬ写真が並ぶようになっている。

中国:大気汚染。

シリア:内戦。シリア難民。

アメリカ:黒人に対する人種差別。

アフリカ大陸:象牙の密売。

これらの問題は、解決するどころか年々悪化している。

シリア問題に端を発した難民問題は、2~3年の間により悪化をした。
受け入れる国々が国境を閉鎖し始めた。

テロへの不安や国内の労働問題などが原因の一端ではあるが、
祖国を追われ辿り着いた新天地で、新たな差別に合うのは遣る瀬無い。

日本政府は、難民受け入れを実質行っていない。
政策の見直しも急務かもしれないが、実際に受けいるとなると不安も感じる。

また、地域を支配する勢力(ISなど)によって不当な支配体制が続く為、救える命も
助ける事が出来ない事を改めて感じた。

日本人としては『違和感』も感じたことがある。
東日本大震災が発生し、福島第一原発事故から5年の歳月が経過した。
今回の写真展には、それに関する写真が1枚も無かった。

日本政府による安全キャンペーンが功を奏したのか、既に世界からは過去の話として
忘れ去られてしまったのか?
まだ、何も変わっていないのに。

世界報道写真展2015 『見える現実、知られざる真実』

今年から(今年だけ?)池袋の東京芸術劇場で開催された。

「一般ニュース」の部単写真2位 マッシモ・セスティーニ氏
北アフリカのリビア沖で、イタリア海軍に保護された難民ボートを空撮した作品。
ボートに乗船している難民は殆どが男性。女性は何処に行ってしまったのか気になるところ。

「一般ニュース」の部組写真2位 グレンナ・ゴードン氏
ナイジェリアでイスラム過激派「ボコ・ハラム」に誘拐された276人の女生徒の衣類や学用品を写したポートレート作品。
何故、イスラム過激派は女性を拉致・殺害の対象にするのか?
単に奴隷や人身売買の資金源にするだけではなく、女性の存在に恐れているのではないかと思う。

「スポットニュース」の部組写真3位 アラシュ・ハムシ氏
イランで行われている公開処刑を撮影した作品。
死刑制度に対しては、遺族の感情や犯罪に対する怒りなどを考えると、一概に賛成or反対を簡単には決めずらい。
しかし、未だにこのような事が行われているのかと思うとショックを感じる。

「長期取材」の部3位 盧廣氏
10年以上かけて、内モンゴル自治区や北京、沿岸部の都市の公害に迫ったシリーズ。
中国という発展する大国の影を克明に写しており、実に見応えのある作品。
先天性異常のある乳幼児を遺棄してしまったり、経済発展の影に人間性の欠落が見え隠れする。

「現代社会の問題」の部組写真2位 トマス・ファン・ハウトレイペ氏
アメリカで、ドローン(無人飛行機)が撮影した冠婚葬祭や学校行事を撮影した作品。
日本でも昨今問題になりつつあるドローンでの撮影。我々のプライバシーは如何なってしまうのか恐怖すら感じる。
安全と引き換えにプライバシーを提供しなければならない社会が来るのだろうか?

他にも沢山の”現実”を写した作品が並んでいる。

震災後の原発問題を写した作品が皆無なのが気に掛かる。
福島第一原発の事故処理に多くの外国人労働者が従事しているなどの話も聞くし、不当労働の話も聞く。
未だに原発の汚水は海洋に投棄され続け、周辺漁業関係者の苦悩は癒されていない。

また、沖縄基地問題も世界に広く知ってもらうべき問題だと思う。
このような問題が、表面化されない「アンダーコントロール」では情けない。


日本人フォトグラファーにも国内問題を見つめて奮起し、世界に問題を訴え掛けて欲しい。

世界報道写真展2014

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今年も東京都写真美術館で始まり、米国のフォトグラファー/ジョン・スタンマイヤー氏が世界報道写真大賞2013を受賞した。
ジブチ共和国で出稼ぎ労働者の姿を撮影した作品。
夜中の海岸で携帯電話を掲げる彼らは、近隣のソマリアから安価で微弱な電波を頼りに、祖国に残った家族と連絡を取ろうとする。

その姿が実に切ない。

独特の切り口で世界を写している一枚です。
報道写真に順位を付ける事の難しさを毎回感じるし、審査をなさる方々の苦労も如何程かと察する。
しかし順位付けに意味があるかとも感じる時もあり、報道写真もショービジネスの一環なのかなと思ったりする。
とは言え、報道写真その物に意味が無い訳ではないので、毎年開催されれば足繁く通っている。
相変わらず、シリア関連の作品が目に付く。
ゴラン・トマセビチ氏『シリア・ダマスカス近郊の町、アインタルマでの戦闘』
自動小銃を構える自由シリア軍の兵士たちの姿は、ジャージに運動靴とおよそ兵士とは思えない格好だ。
アレッサンドロ・ペンソ氏『シリア難民の仮設避難所として使われるブルガリアの廃校の体育館』
その劣悪な環境もさることながら、シリア難民の流入で自国(ブルガリア)経済にも負担がきたしている現状。
難民と受入国民の対立にも繋がりかねず、二次的な紛争の火種だ。
タスリマ・アクテル氏『倒壊したビルのがれきの中から見つかった2人の犠牲者』
瓦礫の中で抱き合い絶命した2人の姿。男性の目から一筋の血が頬を伝っている。
まるで”血の涙”のようだ。
最後の瞬間に何を想ったのだろう。
フレッド・ラモス氏『エルサルバドルで殺人の被害者が埋められていた時の衣服』
クリストファー・バネガス氏『メキシコの高架下で発見された5人の遺体』
日常に溢れるギャングの抗争の激しさに”恐怖”を感じる。
レナ・エフェンディ『小規模農業を営むルーマニアのトランシルバニア地方の人々』
素朴さへの郷愁を感じる。
近くで鑑賞していた年配の方が、「日本の昔もこんなだった。藁を大切にしていたものだ」と語ってした。
ピーター・ファン・アットマール『イラク従軍中の負傷後、コメディアンへの転身を果たしたボビー』
彼の姿に”生きる強さ”感じた。

『地球の上に生きる2014』 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展

GWの中休みの平日であったが、沢山の人が来場していた。

シリアの内戦やフィリピンで発生した巨大台風による被害など、今年も沢山の日常が撮影されている。
日本に暮らす我々には、非日常と感じる事柄が世界各地では日常として過ぎていく。
何時までこの日常が続くのか。
インドの反原発運動を撮影した作品に目が止まった。
日本での反原発運動を最近報道されなくなった。
メディアによって原発再開が容認されようとしている感じがする。
沖縄基地移転問題、東日本震災、メルトダウンした原発の解体などなど。
継続して報道されるべき問題が、我々日本人の日常から消えつつある事に不安も感じる。

92歳の報道写真家 福島菊次郎展

日本新聞博物館で開催中の『92歳の報道写真家 福島菊次郎展』を観てきました。

福島菊次郎氏の作品は何度か誌面等で拝見したことはあったが、此れだけ纏めて観るのは今回が初めてです。

誌面等では、作品の断片しか伺い知ることは出来なかったですが、
今回、福島菊次郎展を訪れて圧倒されるばかりでした。

特に、広島の被爆者一家を10年にわたり追いかけた『ピカドン ある原爆被災者の記録』には、言葉も出ませんでした。

原爆被災者の男性(その家族)の日常も凄まじいですが、死に行く人間と崩壊する家族に10年もカメラを向け続ける気迫(魂)にも、凄まじさを感じます。

「真実を伝える」事とは、此れほど非情でなければならないのでしょうか。


他にも、『三里塚抗争』や『東大闘争とあさま山荘事件』『水俣病などの公害』など、戦後日本の歩んで来た姿を観る事が出来ます。

写真展を観終えて最初に思い浮かんだんだのは、
「それでも人は生きているんだな」と感じました。

どんなに不合理な状態に置かれても、人はそこで戦い、そして生活をしています。
楽ではないけど、生きています。

正直観終えると疲れますが、明日も生きる力を授かった気がします。




以前は、1年に1〜2度「あさま山荘事件」などはTV放送されていた記憶があります。
最近は、戦後日本を振り返る機会(番組)が無い気がします。

対中国、対韓国、激動の中東などの事ばかり伝え、日本国内の歴史は封印されている様に思えるのが気がかりです。

諸外国で起きている事ごとは、戦後日本が歩んで来た姿そのものです。

世界報道写真展2013

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『世界報道写真展2013』に行って来ました。

スポットニュースの部門では、相変わらずシリア、パレスチナ、スーダンといった地域が独占しています。
幼い子供たちが犠牲になっている写真には心が痛みます。
いったい何時になったらこの地域に平安が訪れのか先が見えません。

何世代にも渡って戦闘が繰り返されている地域では、『憎しみの連鎖』を断ち切ることが出来ません。超法規的な存在が「此れで終わり」と宣言したところで、過去を消し去ることは出来ません。
未来に向かって進むには、過去を清算しないと一歩が踏み出せません。
非常に難しい問題ですが、世界規模で解決に向けて行動して欲しいです。

ミカ・アルバート『ナイロビ郊外のゴミ廃棄場で、集めたゴミを入れた袋の上に座り休息をとる女性』が今回の写真展で一番印象に残りました。
生きるということが、この写真に凝縮されているように感じました。
彼女は今、何を考えているのか?
彼女は今、何を求めているのか?
彼女は今、幸せなのか?
彼女は明日、生きているのか?

パオロ・パトリーツィ『ローマ近くで売春婦をしている、ナイジェリア出身のアンナ』には、憤りを感じます。
彼女たちの殆どが、誘拐されてこの地に来るそうです。パスポートを取り上げられ奴隷同然に働かされます。森のなかにマットレスを置いただけのテントで売春を行う環境が信じられません。

エブラヒム・ノルージ『離婚を求めたところ、夫によって体中に酸をかけられた妻ソマイエ(29)と娘ラナ(3)』にもショックを受けました。
此れだけ酷い仕打ちをしていながら、殆どの場合、夫は罪を免れます。
この地上に悪魔が存在しているのに、いったい神は何処にいるのでしょうか?

世界報道写真展を訪れると、人権問題をあらためて意識します。
国際的にみて日本(人)は、人権意識が低いと言われます。先だっても国政政党の共同代表が人権を無視した持論を展開して世界中のメディアから失笑されました。
人権意識が低いのは、国内メディアにもその要因があるのではないでしょうか?
あまりにも、この手の問題に蓋をしすぎてはないでしょうか?
考える機会を与えられなければ、誰も問題視しなくなります。

トマス・P・ペシャク『熱帯・温帯の海洋に生息し、個体数の減少が危惧されるジンベイザメ』を見ると、日本/東京電力の行った放射性廃棄物の海洋投棄が思いだされます。
海洋投棄によって放射能濃度は薄まり問題無いと説明しますが、本当にそうなのでしょうか?
人間の勝手な解釈によって海洋生物にどれだけ影響が及ぶのでしょうか?
汚染水の問題は、被災地の復旧にも大きく影響を与えるので簡単な問題ではありません。
しかし、海洋生物や自然環境を無視して人間の都合だけで進めてよい問題ではないように思えます。

世界報道写真展2012

今年の『世界報道写真展2012』には、東日本大震災の写真が数多く出展される事が予想された。

東日本大震災関連の写真はこの一年の間に数多く見てきたが、その殆どが日本人プレスに関する写真が多かった。外国の報道機関やフォトジャーナリストがこの震災をどのように捉えようとしていたのか興味深い。

ドニ・ルーヴル氏(フランス)の「津波を生き残ったコンノトクさん」が興味深い作品だった。何の説明も無ければ単なるポートレート写真に過ぎないが、震災の状況を捉えた他の作品とは一線を違えた視点を感じる。

自然災害から生還した人には、安堵の裏側に「なぜ自分だけが生き残ったのか」と思う事があると言われる。このポートレートにも何か複雑な思いが写しこまれている様に思えてならない。

また、手塚耕一郎氏(日本)の「宮城県名取市を水没させながら、仙台空港へと向かう津波」などは、日本の地形をも変える津波の威力を捉えており、今見ても恐怖を感じる。

福島第一原子力発電所事故に関する作品が意外と少なかった。報道規制等が有るせいなのかも知れない。これまで原発事故の代名詞と言えばチェルノブイリ事故であったが、これからは福島第一原子力発電所になり、その動向を世界が注視することになるだろう。日本人のフォトジャーナリストがどのような形で発信して行くのか注目したい。

『世界報道写真展2012』には、他にも多くの作品が展示されている。

カーステン・ペーター氏(ドイツ)の「世界最大とされるベトナムのフォンニャ=ケバン国立公園内のソンドン洞窟」には、大自然を前にした人間の小ささを体現できるようなスケールの大きな作品だ。

アレハンドロ・キルチュク氏(アルゼンチン)の「65年間連れ添ったアルツハイマーの妻モニカの世話をするマルコム」の組写真には、”愛”なんて言葉では軽すぎるような日常が写しだされているが、それとは対照的に、ステファニー・シンクレア氏(アメリカ)の「国、地域、社会階級を問わず各地で存続する児童結婚の伝統」では、何とも言いがたい思いが過ぎる。

ニクラウス・ハマーストレム氏(スウェーデン)「無差別大量殺人の舞台となったノルウェー郊外のウトヤ島」や、エブラヒム・ノルージ氏(イラン)「中国に次いで死刑執行が多いとされるイランでの公開処刑」などに見られる作品では、テロや公開処刑、麻薬カルテルの抗争、狂信的な虐殺と、人の死を政治的な力の保持として利用する現場を目の当たりにする。

レミ・オシュリク氏(フランス)の「リビアの体制への抗議運動とカダフィ大佐の遺体」に、一つの時代の終焉を見た。

『地球の上に生きる2012』 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展

『DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展』に毎年足を運んでいるが、8回目を迎えた今年は足を運ぶのが辛く感じた。

今年の作品には、東日本大震災の写真が沢山並ぶのが予想されていたからだ。

震災から日が経つにつれて、当時の記憶を蘇らせるのも辛くなってきたような気がする。

出来ることならば、悪夢として忘れ去りたいと思うこともしばしばある。

単に写真を見るだけならば、先に発売された『DAYS JAPAN 5月号』を見れば済む。

しかし大判にプリントされた写真を見ると、誌面では判らなかった事に気が付き、思わず立ち止まり目を凝らして見入ってしまった。

避難先の高校で、老女が懐中電灯で照らした先には何枚もの安否情報が張られている。

『○○が連絡取れません』とか、『○○を探しに来ましたが行方がわかりません』とか家族の思いが書かれていた。

震災の被災女性が瓦礫の前で呆然と佇んでいる姿をよく見ると、その足元は女性物とは思えないスニーカーを履いていた。

手を合わせる子供の姿や、不安そうな少女の表情。

海外の作品には、リビア革命の怒りに満ちた顔や絶望とも思える表情が見て取れる。

特に印象的だったのは、『フィリピン スラムの炭焼き場で』の少女たちの児童労働問題を扱った作品。

10キロ以上の鉄くずや炭を入れた袋を担いで売りに行く少女の顔には、目を見開き歯を食いしばる必死の形相が撮られていた。

小さな誌面では感じ取ることの出来ない”現場の空気”が会場に漂っているように思える。

東日本大震災を扱った日本人フォトジャーナリストの作品と海外のフォトジャーナリストの作品を比べた場合、作品的には”弱い”と感じた。

しかし、心情的には東日本大震災を扱った作品の方が、胸の奥に響く感じがした。

花咲けニッポン!サクラ・さくら・桜

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プロ写真家の作品やフォトコンテスト入選のアマチュア写真家の作品から選りすぐられた桜を観ることが出来る写真展です。

普段、風景写真に興味が無い方にも是非、観て頂きたい写真展です。


縦横2メートル以上の作品も数点展示されていますが、そのクオリティには圧巻です。

まるで本当の桜を目の前に鑑賞している錯覚にも陥ります。

自分などが撮影する際、どうしても避けてしまいがちな人工物や人の姿も上手く取り入れ、決して主役(桜)の邪魔にならないように撮影している所などは流石だと思います。

それどころか、桜と人の関係性を表現する作品もあり、関心するばかりでした。

単に美しい姿だけではない、桜の一面も見せてもらった気がします。


もう少しで今年の桜にも出会えますが、去年までとは違った出会い(見方/撮り方)になれば良いなと思います。

世界報道写真展2011

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「また1年経ったな」そんな思いがあります。

世界報道写真大賞/ジョディ・ビーバーが撮影した『夫の家から逃げ出した罰として、両耳と鼻を削ぎ落とされたアイシャ』のポートレートが目を惹きます。

18歳のアイシャ。美人の面影がある端正な顔立ちではあるが、その中心にあるべき鼻が無い。

写真のインパクトもさる事ながら、「何故、アイシャは自分の姿を写真に残す決意をしたのか」を考える1枚である。

その答えは、アイシャの力強い眼差しにあるのではないかと思う。差別や迫害に屈しない強さと決意の表れのポートレートであろう。

ヴィンセント・ユーが撮影した『北朝鮮の平壌で軍事パレードを観覧する金正日総書記と金正恩氏』も何かインパクトのある写真だ。

これが、ある意味世界を代表する2人なのだと思うと、恐怖感すらある。この2人が何を考え如何に行動するかを世界が注視している。

ハイチを襲った地震後のポルトープランスを、オリヴィエ・ラバン=マティ、ダニエル・モレルの2人が撮影した作品群も目を惹いた。

その中で、遺体を放り投げている1枚は衝撃的であった。国民の95%がキリスト教徒でもある国ではあるが、死者への慈しみすら感じる事が出来ない光景である。長く内戦状態にある国勢が人々の心をも破壊してしまっているかのように感じる。

『現代社会の問題』部門では、

エド・カシが撮影した『枯葉剤の後遺症とおもわれる障害を患っているベトナムの少女』

サラ・エリオットが撮影した『中絶は犯罪とみられるケニアで違法に営業している中絶施設』

が取上げられている。

戦後40年が経過したベトナム戦争ではあるが、未だに終わらない戦後の現実をまざまざと写している。

また、ケニアの中絶施設の組写真は衝撃的である。違法どころか殺人に近い状態である。単に中絶施設を摘発しただけでは問題の解決にはならないであろう問題の深さを感じる。

『自然』部門では、

ベンジャミン・ローウィが撮影した『メキシコ湾での海洋石油掘削基地の原油流失事故』の写真には、色々考えさせられる。

来年の作品には、福島第一原発での海洋汚染、大気汚染の写真が取上げられる事になるのではないか。残念ながら環境テロリスト国家に陥った事は自覚しなければならない。

来年の会場には、東日本大震災や福島第一原発事故の写真が受賞するかもしれない。願わくば、そこに写る人々に少しでも笑顔が戻っている事を願いたい。

東京都写真美術館で、8月7日まで開催中。

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