広河隆一氏の写真は、これまでも他の写真展で拝見する機会は多々あったが、個展とゆう形式で見るのは初めてだと思う。
フォトジャーナリスト/広河隆一氏が取材した40年の軌跡が、会場となった『コニカ・ミノルタ・プラザ』に凝縮されていた。広河氏の存在を知ったのは、『DAYS JAPAN』誌の責任編集者としての顔からでした。現場のフォトジャーナリストというより、編集者としてのイメージが大きかった。チェルノブイリ原子力発電所事故の取材に関しては良く知っていたが、それ以外の、パレスチナ問題やスリーマイル島原子力発電所事故等多岐に渡る取材活動に関してはあまり認識していなかった。
写真展を見ていて思ったのが、各写真に対しての説明文がかなり長いと感じた。これまでも同様の写真展に脚を運んだ事は多々あるが、今回の写真展ほど長くは無かった感じがする。
この長い説明文に関しては、同日開催された広河隆一氏のトークショー『戦争とジャーナリスト』の中でその意味が理解できたかと思う。
トークショウでは、世界報道写真展やピュリッツァ賞、DAYS写真大賞の作品を数点題材にして『報道写真に対するリテラシー』が語られていた。
現場の写真を見て判断しようとすると、とてつもない間違いを犯しかねない。一見、反政府活動への政府の暴挙であったり、人権侵害と見られかねない写真もその真意は別のところにあったりする。
私達視聴者は、より過激写真や映像を求めている。罪の無い子どもや村人が銃撃され傷を負った姿や、自爆テロによって犠牲にあった不条理な死。そんな写真を見ると反政府組織や、テロリストに対する怒りを覚える。その心理を政府が上手く利用する事で自らの残虐行為を正当化したり、煙に巻く事が出来る。
私達は単に写真や報道を見て感嘆するだけではなく、そこに映し出されている現実を読み解く能力が広く求められている。
その手助けを報道写真がしているケースが近年多々あると。残念な事に、そのような写真を権威ある写真展が賞を与え、既成事実としていると。
報道写真は、その1枚で完結しているべきだと思う。フォトジャーナリストは自らが発表した写真に対して責任を持つ事が必要で、その為には長い説明文で誤解の無いようにしないといけないと解釈した。
他の写真展などで広河氏の姿を目にする事は今までもあった。その時の印象は物静かな人物であったが、1時間のトークショウで熱く語る広河氏を見て少し驚いた。DAYS JAPAN誌の編集をする事によって現場に出る時間に制約があるのかもしれないが、それだけに現場に対する思いが色々と鬱積しているのかもしれない。
写真は都合の良い所だけを撮影する事が可能である。余分な部分はフレームから外してしまえばすむ。そんな『偽りの真実』を見抜く力を付けなければならない。
イラク戦争での『自己責任報道』があってから、どうも日本のマスメディアには信頼が置けないから、なお更だ。
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